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平成21年4月の資料紹介

『明治三庚午年阿部興人日誌 -庚午事変 若き首謀者の記録-』

徳島の古文書を読む会一班 2008.5 360p 26cm (請求記号289/A)

  • 表紙写真

 

 当館北方資料部所蔵『阿部家文書』は、北海道放送株式会社社長の阿部謙夫氏から同家に伝わる資料が寄贈されたものです。この資料の内容は、阿部謙夫氏の養祖父阿部興人、阿部宇之八を中心に家族に関するもので、その中の阿部興人関係文書は徳島県との関わりが深く、平成11年に徳島県立文書館がこの文書群のマイクロ撮影を行っています。
 本書は、阿部興人関係文書の中の日記類((16冊)のうち、明治3年の庚午事変前後のものを、徳島県立文書館(徳島の古文書を読む会)が翻刻したものです。
庚午事変について、フリー百科事典『ウィキペディア』から流れを紹介すると、
徳島藩洲本城代家老稲田家と、徳島本藩とは以前から様々な確執があった。
幕末期、本藩側は佐幕派、稲田側は尊皇派で対立が深まっていった。
○明治維新後、徳島本藩の家臣は士族とされていたが、稲田氏の家臣は卒族とされた。
洲本を中心に淡路を徳島本藩から分藩独立させ、稲田藩の設立をめざし、明治新政府にも独立を働きかける。
稲田側の一連の行動に怒った本藩側の一部過激派藩士らが、明治3513日、洲本城下の稲田家とその藩士らの屋敷を襲撃
明治新政府は、徳島藩側首謀者ら10人処分(切腹、終身流刑、禁固、謹慎)。
稲田側には、この事件を口実に北海道静内と色丹島の配地を与えるという名目で、兵庫県管轄の士族として静内へ移住。

 
 この明治3年5月13日前後の一連の騒動を庚午事変(稲田騒動とも言う)と言います。阿部興人は、庚午事変の中心的、指導的な立場にあり、終身禁固(自宅にて謹慎)の処分を受けますが、後に禁固3年に減刑されます。その後、興人は徳島県の役人や郡長、県会議員、衆議院議員、会社の重役等を努め、政財界に足跡を残しています。
 徳島県立文書館は、当館所蔵の「阿部家文書は徳島近代の出発を考える上で、どうしても看過することのできない資料群」と評価しています。